カイロプラクティックの歴史
カイロプラクティックの歴史
カイロプラクティック誕生の必然性
カイロプラクティック原理の大きな特徴は、物理的環境の一つ「重力」を人間の「健康」と関連付けて考えることにあります。地球上で、二本足で行動する(直立二足歩行)のは人間だけです。その結果、両手が自由になり、脳が大きくなって人類は今日の高度文明社会を築くことができました。でも、それには大きな代償がありました。
健康を「重力」というキーワードで見ると重要なことが分かります。直立姿勢での行動は非常に不安定なのです。さらに重い頭をタテ軸の頂点で支えるため、重力の影響を大きく受けることになりました。不安定さは生命にとって危険です。 そこで人類は脊椎・骨盤を中心とする筋骨格系で支え、さらに神経系を発達することで安定性を保とうとしました。事実人間ほど素晴らしい感覚神経と運動神経を発達させた生物はいません。
高度な文明は代償なしに築けないことを人類の歴史が物語ります。重力の影響による負荷や、身体の不安定さに起因する背骨の歪みや障害などは、健康上の大きな問題として有史以来人間を悩ませ続けました。自然環境と人類が共存した時代から、人工的なモノに囲まれ、不自然な生活環境に生きるようになると、特に首の痛み、肩こり、背痛、腰痛、膝や足の痛みなど筋骨格系の障害や神経系の不調に人々は悩まされるようになりました。
カイロプラクティック誕生の背景
1895年9月18日、アメリカ・アイオワ州ダベンポートの町でダニエル・デービッド・パーマーの「手」によってカイロプラクティックが創始されました。
手技療法は紀元前の時代からすでに経験的には行われていましたが、脊柱と神経の関連に着目し、理論体系を築いたのがカイロプラクティックです。
カイロプラクティック誕生の背景には、次のような逸話があります。
D.D.パーマーが磁気治療師として開業していたとき、たまたま彼のオフィスで働いていた、リラード・ハーベイが難聴であることを知り、彼の背骨に大きな歪みを見つけました。そこで、テコの原理を利用し、手でその部位を押してみたところ、「ポキッ」という音とともに歪みが矯正され、リラードの難聴が除々に回復したそうです。
D.D.パーマーは、その偶然のできごとを友人のサミュエル・H・ウィードに話したところ、ギリシャ語で「手」を意味するcheirと「技術」を意味するprakticosを合成した「カイロプラクティック」(chiropractic)という言葉が誕生しました。その後、カイロプラクティックの教育がスタートし、次々に大学教育へと発展していきました。
日本人最初のカイロプラクターは、1907年にパーマー・スクールを卒業した森久保繁太郎氏。
日本には1916年(大正5年)に、同スクールを卒業した川口三郎氏によって初めて伝えられました。
森久保繁太郎氏は卒業後日本に帰国することなく、米国で生涯を閉じました。
カイロプラクティックの創始者
ダニエル・デビッド・パーマー (米国)
カイロプラクティックの「創始者」ダニエル・デビッド・パーマーは、1845年にカナダで生まれました。学校教育は11歳までしか受けていませんが、大量の書物を読み、後年は私設の「移動図書館」を所持していたほどです。当時の哲学や科学を独学で学び、驚異的な知識を身につけていました。1865年にアイオワ州へ移り、教職に就いています。
そして1886年、かねて興味を抱いていた19世紀の哲学をもとに、磁気治療師としての第一歩を踏みだしました。パーマーはマニピュレーションを特定の脊椎部に施して、患者の体質や神経の機能を調整するという治療を行いました。
初のカイロプラクティック・アジャストメントが行われたのは1895年、9月18日のことです。
1896年には、パーマー磁気治療学校を設立しました。彼は息子バートレット・ジョシュア・パーマー(B.J.)に学校(パーマー・カイロプラクティック学校)を譲り、その後米国中にいくつものカイロプラクティック学校を設立し、1913年にロサンゼルスで死を迎えています。
パーマーが最も疑問に思ったのは、「なぜ同じベンチに座ったり、同じ家で暮らしていながら、病気になる人とならない人がいるのだろう?同じ食事をし、同じ空気を吸っていながら、病気がちな人と健康な人がいるのはなぜなのか?」というものでした。彼はサブラクセーションという言葉を用いて、脊椎の障害が病の根源であると説いています。さらにこの脊椎の不整が神経障害を引き起こすという考えが、パーマーの主張の最も重要な点でした。
パーマーがいうサブラクセーションとは、いわゆる亜脱臼のことではなく、解剖学上の正しい隣接関係からはずれた脊椎不整をさしています。彼は可動性の減少を、サブラクセーションの重要な特徴にあげました。サブラクセーションと病気の因果関係には、神経系が大きく関与しています。どんなサブラクセ一ションも神経と神経インパルスの伝達に変化をもたらすと思われました。パーマーは、神経の正常な機能喪失の原因が、すべてサブラクセーションにあると考えたのです。
パーマー所有の移動図書館については蔵書内容が明らかにされており、彼が19世紀の哲学に親しんでいた様子は明らかです。彼の哲学の源は、おそらく形而上学(1830年代にエマーソンの超越論から生まれた哲学)、神智学(物質と生命の神秘を体系づけた哲学)、精神主義(死亡した治療師の魂が治療に影響を及ぼすという概念)、生気論、生物科学、特に神経学であろうと思われます。
そしてこのカイロプラクティック哲学における生気論と精神主義には、パーマーが先天的知能(innate intelligence)、絶対的知能(universal intelligence)、精神、生命、霊魂と呼んでいた概念が含まれていました。
絶対的知能は、生命力、パワー、創造の源として定義され、個人においてそれは先天的知能として表現されます。パーマーは、絶対的知能は、それ自身の力を発揮するとともに、先天的知能として個々にも向上に役立つと主張しました。このような指導的作用をもつ先天的知能によって、人間はより身体的、精神的、頭脳的に成長できる。また、先天的知能は、神経を伝わる情報の授受によって身体活動を支配し、統合できると説いたのです。
パーマーはさらに、知能の二重構造についても言及しています。個々のなかで先天的知能として表現される絶対的知能と、教育によって培われた後天的知能は、ともに生命のある問題に発展する。この2つの知能の特質は、お互いに影響を及ぼしあう。先天的知能という概念は、B.J.パーマーの生気論哲学の基礎となりましたが、D.D.パーマーの哲学が科学的考察よりも生気論を尊重していたと考えるのは誤りです。彼はどちらも同様に重視していました。
D.D.パーマーは、生気論者と自然主義者の伝統的論争にはふれず、治療にかかわる人体の能力を説きました。そしてそのなかで、生命機能は無生物を支配する法則と異なるという、先のような原理を明らかにしました。おそらく彼は2つの論争は的外れであると考えていたようです。なぜなら、すべての物質には生命が宿っていると記されているからです。
また一方で彼は、西洋医学とカイロプラクティックの哲学的な違いも明確に示しました。根本的な違いのひとつは病因に対する見解です。西洋医学では、病を引き起こすのは人間を支配する環境の影響であると見なすのに対し、カイロプラクティックは、全体論をより多く取り入れています。つまり、人体そのものに原因があると見ているのです。特に脊柱の構造的問題が環境に対処すべき神経機能を低下させ、患者の体力をも減退させます。パーマーは、病の根源の大半は脊椎にあり、病気とは脊椎不整の結果であると確信していました。「わたしは病気を治すのではない。脊椎の不整を調整するだけだ」と書いている。要するにカイロプラクター/STRONG>の仕事は、治療を施すことではなく、異常な箇所を正常な位置にもどすことです。病気は本質的に機能上の問題であって、症状がひどくなった場合、結果的に構適的や器官の問題に発展するのです。
参考文献: 「カイロプラクティック総覧」スコット・ハルデマン原著 竹谷内宏明(本学学長訳)
ヒポクラテスの哲学を受け継いだパーマー
カイロプラクティックは脊柱の構造的・機能的異常を研究し、それを正せる希少な治療法です。カイロプラクティックが独自で唯一無二といわれるのは、他のいかなる療法とも異なる発想と技術をもつためです。カイロプラクティックの理論的根拠である重力とアンバランスによる身体の障害(サブラクセーションと呼びます)へのアプローチは、人類にとって古今東西、老若男女に通用する普遍的なものです。アメリカのDDパーマーが創始したといわれるカイロプラクティックの原理は実はヒポクラテスの時代にさかのぼることができます。そのため19世紀末DDパーマーが復活したカイロプラクティックという一民間療法が、わずか一世紀で世界80カ国に広まり、その半数40カ国・地域で法制化がなり、世界のヘルスケアとしてWHО(世界保健機関)の承認を受けました。





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